3月3日 辛亥 霽
鶴岡宮の法会、童舞十人(筥根の垂髪)有り。また臨時祭、長馬十騎・流鏑馬十六騎
・相撲十六番。幕下御参宮。越後の守・伊豆の守・江間殿・小山左衛門の尉・同七郎
・三浦の介・畠山の次郎・和田左衛門の尉・三浦左衛門の尉・伊東の四郎・葛西兵衛
の尉已下御共に候す。晩景事訖わり還御の後、供奉人等未だ退出せず、各々侍所に候
す。その中に廣田の次郎邦房と云う者有り。傍輩に語りて云く、明日鎌倉に大火災出
来し、若宮・幕府殆どその難を免がるべからずと。これ大和の守維業の男なり。然れ
ば家業を継がば、儒道の号有りと雖も、天眼を得難きかの由人これを咲うと。
3月4日 壬子 陰、南風烈し
丑の刻小町大路の辺失火す。江間殿・相模の守・村上判官代・比企右衛門の尉・同籐
内・佐々木の三郎・昌寛法橋・新田の四郎・工藤の小次郎・佐貫の四郎已下の人屋数
十宇焼亡す。余炎飛ぶが如くして鶴岡馬場本の塔婆に移る。この間幕府同じく災す。
則ちまた若宮の神殿・廻廊・経所等悉く以て灰燼と化す。供僧の宿坊等少々同じくこ
の災を遁れずと。凡そ邦房の言掌を指すが如きか。寅の刻籐九郎盛長の甘縄の宅に入
御す。炎上の事に依ってなり。
3月5日 癸丑
炎上の事に依って、近国の御家人等参集す。相模の渋谷庄司・武蔵の毛呂豊後の守最
前に馳参すと。
3月6日 甲寅
若宮火災の事、幕下殊に歎息し給う。仍って鶴岡に参り、纔に礎石を拝み、御涕泣か。
則ち別当坊に渡御し、新営の間の事を仰せ含めらると。戌の刻大地震(帝尺動く)。
頗る吉瑞なりと。
3月8日 丙辰
若宮の仮宝殿造営の事始めなり。行政・頼平これを奉行す。幕下監臨し給うと。
3月13日 辛酉 快霽
夜に入り若宮の仮殿遷宮。別当法眼並びに供僧及び巫女・職掌等皆参る。随兵百余人、
兼ねて宮の四面を固む。義盛・景時・盛長等これを奉行す。御出の間佐貫大夫御劔を
役す。愛甲の三郎御調度を懸く。河匂の七郎御甲を着す。所雑色基繁・源判官代高重
等松明を取り御前に候す。
3月20日 戊辰
大理(能保卿)の使者参着す。これ炎上の事を申さるるに依ってなり。
3月27日 乙亥 晴
若宮の仮経所始め、供僧等参入す。故に以て読経の儀有りと。