1191年 (建久2年 辛亥)
 
 

9月3日 己酉
  先考の奉為、南御堂に於いて御仏事有り。頓写の法華経一部を供養せらる。恵眼房御
  導師たり。御布施は被物二重、大夫屬入道これを奉行す。御台所御聴聞の為御参り。
  幕下御参無し。御衰日に依ってなり。
 

9月8日 甲寅 [玉葉]
  南大門の金剛力士、仏師康慶を以て造立せしむべきの由、寺家懇望す。奏聞するの処、
  院尊に問うべきの由仰せ有りと。早く問うべきの由これを仰す。
 

9月9日 乙卯
  鶴岡臨時祭例の如し。幕下御奉幣有り。
 

9月18日 甲子
  幕下大倉観音堂に御参り。これ大倉行事草創の伽藍なり。累年風霜侵して甍破れ軒傾
  くなり。殊に御憐愍有り。修理の為、准布二百段を以てこれを奉加し給う。
 

9月21日 丁卯
  海浜を歴覧せんが為、稲村崎の辺に出で給う。小笠懸の勝負有り。
   射手
    幕下            下河邊庄司
    和田左衛門の尉       榛谷の四郎
    藤澤の次郎         愛甲の三郎
    山田の太郎         笠原の十郎
  上手負けをはんぬ。各々一種一瓶を相具す。浜に於いてこれを献ず。仍って上下興を
  催す。秉燭の程帰らしめ給うの間、雑色澤重と盛時の所従と喧嘩有り。各々疵を被る。
  義盛の郎従等これを搦め進す。殊に御勘発有り。則ちこの所より伊豆の国に流し遣わ
  さる。而るに科の軽重を究めらるべきか。楚忽の御沙汰たるの由、盛時義盛に属き頻
  りにこれを愁い申す。所犯に於いては相互遁れ難きの旨、直に御覧をはんぬ。他所に
  非ず、正に御興遊の砌に於いて、忽ち奇怪を現す。糺断の篇、何ぞ後日を期せんか。
  汝公事に接しながら、非拠を申し行わんと欲す。不当の由御気色再三に及ぶ。盛時閉
  口し逐電すと。
 

9月26日 壬申 雨降る
  申の時以降地震良久し。
 

9月29日 乙亥
  北條殿の室家上洛す。これ氏神に奉幣せんが為と。幕下種々の餞物を遣わさる。また
  諸人同じく丁寧の沙汰を致すと。