閏12月2日 丙午
北條殿脚気を煩わしめ給う。仍ってこれを相労わらんが為、今暁伊豆の国北條に下向
せらる。彼の所に於いて御越年有るべしと。
閏12月5日 己酉
高三位の書状参着す。院の廰の御下文を送り進す所なり。これ地頭の輩を相催し、東
大寺の柱を引かしむべきの由なり。
閏12月7日 辛亥
幕下三浦の介義澄の宅に入御す。この間新造せしむるに依って、案内を申す所なり。
終日御興遊。平六兵衛の尉義村・太郎景連・佐貫の四郎・大井兵衛次郎等、召され相
撲の勝負を決すと。
閏12月9日 癸丑
東大寺の柱四十八本、明年中引き進すべきの由、畿内・西海の地頭等に仰せらる。佐
々木四郎左衛門の尉高綱奉行たるべしと。
閏12月16日 庚申 天晴 [玉葉]
法皇六借御うと。(略)医師等を召し、御悩の安否を問う。御腹張満し始め、当月妊
者の如し。また御脛股の腫滅無きの上、御腰猶腫れ給う。昨日また御面少し腫れ給う。
御痢度数減有りと雖も、その躰太だ心得ず。覚えずして漏らすと。これ不快の相なり。
御不食猶未だ滅せず。件の四腫の病気を帯びながら、力衰微せず。起居軽利・行法転
経日来の如し。死相一切現れ給わらずと。また服薬に随い、御悩倍増す。偏に邪気の
為す所と。右大臣を以て仰せ下されて云く、崇徳・安徳、両怨霊陳謝の間の事、且つ
は例を問い、且つは人に尋ね、計り奏せしむべしてえり。
閏12月17日 辛酉 雪降り風烈し [玉葉]
未明、人伝えに、法皇事有り。余この事を信ぜず。果たして以て浮言と。(略)去る
夜、入道左大臣薨逝す。日来の病なり。
閏12月18日 壬戌
幕府に於いて千巻観音経を読誦せらる。鶴岡並びに勝長寿院の供僧等これを奉仕す。
酒を彼の僧等に勧められ、自ら酌を取らしめ給うと。
閏12月21日 乙丑 雪尺に及ぶ [玉葉]
今日内裏に於いて定能卿語りて云く、法皇猶不快に御坐す。今日御膳また通せずをは
んぬ。御腫並びに御腹張満、凡そ減無し。殆ど御腫に於いては、増気有りと。
閏12月25日 己巳
梶原刑部の丞朝景申して云く、去る十六日夜、左府禅閤(實定)薨じ給う。年五十三
と。幕下殊に歎息し給う。関東の由緒有り。日来これを重んぜらるる所なり。梶原は、
また朝景・景時共に以て彼の恩沢に浴すと。景時は幕下の御吹挙に依って、先年美作
の国の目代に為ると。
閏12月27日 辛未
今月中旬の比より、法皇御不豫。御痢病と御不食と計会するの由その聞こえ有るに依
って、幕下今日より御潔斎。彼の御祈請の為法華経を読誦し給うと。