10月15日 甲寅
左女牛の若宮領土佐の国吾河郡、京都大番役の外は公事を停止せらる。但し件の役は
猶別当秀厳(惟光が子、廣元の舎弟)が沙汰として催勤すべし。てえれば、その旨を
以て守護人中務の丞経高に下知し給うと。行政・盛時等奉行すと。
10月19日 戊午
御台所並びに新誕の若公、名越濱の御所より幕府に入御す。北條五郎時連・里見の冠
者義成・新田蔵人義兼・小山左衛門の尉朝政・同七郎朝光・三浦左衛門の尉義連・同
兵衛の尉義村・八田兵衛の尉朝重・梶原左衛門の尉景季・同兵衛の尉景茂等供奉す。
10月21日 [出羽中條家文書]
**将軍家政所下文
将軍家政所下す、越後の国奥山庄官等
補任地頭職
平宗實
右の人、彼の職に補任するの状、仰せの所件の如し。庄官等宜しく承知すべし。遺失
する勿れ。以て下す。
建久三年十月二十一日 案主藤井(花押)
令民部少丞藤原(花押) 知家事中原(花押)
別当前の因幡の守中原朝臣(花押)
前の下総の守源朝臣
10月25日 甲子
二階堂に惣門を立てらると。
10月29日 戊辰
永福寺の扉並びに佛の後壁の画図功を終う。修理の少進季長これを画く。これ秀衡建
立の圓隆寺を模せられ、画図に至るまで、一事已上彼の如しと。
10月30日 己巳 南風烈し
亥の刻に武者所宗親が濱の家焼亡す。宗親折節他所に在り。煙を見て走り向かい、筝
を取り出さんと欲するの間、左方の髭を焼くと。唐国大宗の髭は、薬を賜るの仁に施
す。和朝宗親が髭は、絃を惜しむの志を顕わす。焼く所は同じと雖も、用ゆる所相異
なるものか。