1193年 (建久4年 癸丑)
 
 

6月1日 丙申
  曽我の十郎祐成が妾大磯の遊女(虎と号す)これを召し出さるると雖も、口状の如き
  はその咎無きの間これを放ち遣わさる。また五郎が弟の僧有り。父河津の三郎夭亡の
  後、五箇日に当たり生るる所なり。而るに伊東の九郎祐清が妻これを収養す。祐清平
  氏に加わり、北陸道合戦の時討ち取らるるの後、その妻武蔵の守義信に嫁す。件の僧
  同じく相従い武蔵の国府に在り。兄等同意に行わるべきの由、祐経が妻子訴え申すの
  間、子細を尋ねられんが為、御使いを義信朝臣が許に遣わさると。祐成等が継父曽我
  の太郎祐信恐怖に魂を消すと雖も、同意の支證無きに依って宥めらると。

**曽我物語
  また、此人々の弟に、御房とて十八になる法師あり。故河津三郎が忌のうちにむまれ
  たる子なり。母、思ひのあまりに、すてんとせしを、叔父伊藤九郎養じて、越後国国
  上といふ山寺にのぼせ、伊藤禅師とぞいひける。九郎、平家へまいりて後、したしき
  により、源義信が子と号して、折節、武蔵国に在ける。頼朝、きこしめし、義信に仰
  付て、めされければ、力なく、家の子郎等数十人下されし事、不便なりし次第なり。
 

6月3日 戊戌
  御狩りの間、常陸の国久慈の輩御共に候ずるの処、祐成等が夜討ちに怖れ逐電しをは
  んぬ。仍って所帯等を収公せらると。
 

6月5日 庚子
  祐成等が狼藉の事聞き及ぶに随い、諸人馳参するの間諸国物騒す。八田右衛門の尉知
  家と多気の太郎義幹とは常陸の国の大名なり。強ち宿意を挿まずと雖も、国中に於い
  て相互いに聊か権勢を争う者なり。而るに知家この事に依って参上せんと欲するの刻、
  内々奸謀の所存有り。疋夫の如きの男を義幹が許に遣わし、八田右衛門の尉軍士を相
  催し義幹を討たんと欲するの由、これを構えしむ。仍って義幹防戦の用意を構え、一
  族等を相聚め、多気山城に楯籠もる。これに依って国中騒動す。その後知家また雑色
  男を遣わし、義幹に告げ送りて云く、富士野の御旅館に於いて狼藉有るの由風聞する
  の間只今参る所なり。同道すべし。てえれば、義幹答えて云く、所存有って参らずと。
  この使いに就いて、義幹いよいよ以て防禦の支度を廻すと。
 

6月7日 壬寅
  駿河の国より鎌倉に還向し給う。而るに曽我の太郎祐信御共に候ずるの処に、路次に
  於いて暇を給わる。剰え曽我庄の乃貢を免除し、祐成兄弟が夢後を訪うべきの由仰せ
  下さる。これ偏に彼等が勇敢の怠り無きを感ぜしめ給うに依ってなり。
 

6月12日 丁未
  八田右衛門の尉知家、義幹野心有るの由を訴え申す。これを聞こし召し驚き、義幹を
  召し遣わされをはんぬ。
 

6月18日 癸丑
  故曽我の十郎が妾(大磯の虎、除髪せずと雖も黒衣の袈裟を着す)、亡夫三七日の忌
  辰を迎え、箱根山の別當行實坊に於いて佛事を修し、和字の諷誦文を捧ぐ。葦毛の馬
  一疋を引き、唱導の施物等と為す。件の馬は、祐成最後に虎に與うる所なり。則ち今
  日出家を遂げ、信濃の国善光寺に赴く。時に年十九歳なり。見聞の緇素悲涙を拭わざ
  ると云うこと莫しと。

**曽我物語
  さる程に、大磯の虎は、かの人の後世をとぶらはんと思ひたち、袈裟・衣などとヽの
  へて、箱根山に上り、百ヶ日の仏事のついでに、なくなく翡翠のかんざしをそりおと
  し、五戒をたもちけり。さしも、うつくしかりつる花の袂をひきかへて、墨の衣にや
  つしはてける。母御前力なく、別当に暇をこひ、帰とて、虎御前に申されけるは、「
  曽我へいざさせ給へ。十郎が形見に見まいらせ候はん」といわれければ、虎、「もっ
  とも御共申候て、形見にも見えまいらせたく候へ共、これより善光寺への心ざし候。
  下向にこそ参候はめ」とて、ゆきわかれぬ。
 

6月20日 乙卯
  炎旱旬を渉り、民黎雨を思う。これに依って鶴岡・勝長寿院・永福寺の供僧祈雨法を
  奉仕す。善信奉行として各々奉書を遣わすと。
 

6月22日 丁巳
  多気の義幹召しに応じ参上するの間、善信・俊兼等奉行として、知家を召し決せらる。
  知家訴え申して云く、去る月祐成が狼藉の事、今月四日承り及ぶに随い参上せんと欲
  す。而るに義幹を誘引すと雖も、義幹一族郎従等を集め、多気山城に楯籠もり反逆を
  企つと。義幹陳謝す。その趣明らかならず。但し城郭を構え軍士を聚むるの事に於い
  ては、承伏し遁るる所無し。仍って常陸の国筑波郡・南郡・北郡等の領所を収公せら
  れ、その身を岡部権の守泰綱に召し預けらると。所領等に於いては、則ち今日馬場の
  小次郎資幹に賜ると。因幡の前司廣元これを奉行す。
 

6月25日 庚申
  文覺上人、東大寺造営料の国領を以て、或いは弟子と称し或いは檀那分と号し、俗人
  に與うるの由その聞こえ有るに依って、事実ならばすでに佛法を興隆するの志に非ず。
  定めて婪人の用を貪るの謗りを招くか。且つは上人将軍家の御吹挙を預かり、彼の在
  所を知行せしむるの処、この儀に及ばば、世上の嘲り関東に帰すべきや。殊に痛み思
  し食さるるの旨、諫諍を加えんが為、今日梶原刑部の丞朝景並びに安達の新三郎清恒
  を京都に遣わさると。