1193年 (建久4年 癸丑)
 
 

9月1日 甲子
  多気の義幹が所領、残る所重ねて資幹に賜ると。
 

9月7日 庚午
  故法皇の御旧跡宣陽門院、當時無人なり。群盗以下の狼藉、尤も怖畏有るべきの由、
  前の黄門内々歎き申さるるに依って、日来その沙汰有り。畿内近国の御家人等を相催
  し、宿直に差し進すべきの旨、経高・盛綱・基清等に仰せ含めらると。
 

9月11日 甲戌
  江間殿嫡男の童形この間江間に在り。昨日参着す。去る十七日卯の刻に、伊豆の国に
  於いて子鹿一頭を射獲る。則ちこれを相具せしめ、今日参入す。厳閤矢祭の餅を備え、
  子細を申さるるの間、将軍家西侍の上に出御す。上総の介・伊豆の守以下数輩列候す。
  先ず十字を供う。将軍家小山左衛門の尉朝政を召し一口を賜る。朝政御前に蹲踞し、
  三度これを食う。初口は叫声を発し、第二三度は然らず。次いで三浦の十郎左衛門の
  尉義連召し二口を賜る。三度これを食う。毎度声を発す。三口の事頗る思し食し煩う
  の気有り。時に諏訪の祝盛澄を召す。殊にこれに遅参す。然れども三口を賜る。三度
  これを食う。声を発せず。凡そ十字を含むの躰・三口に及ぶの礼、各々伝え用いる所
  皆差別有り。珍重の由御感の仰せを蒙る。その後勧盃数献と。
 

9月18日 辛巳
  将軍家岩殿・大蔵等の両観音堂に詣でしめ給う。姫君御不例の時の御立願と。
 

9月21日 甲申
  御外舅憲實法眼の子玄番の助大夫仲経、美濃の国土岐多良の庄を賜る。旧好他に異な
  るに依ってなり。
 

9月26日 己丑
  御外舅憲實法眼の後家この間参候す。故季範朝臣の芳好、黙止し難きに依って、殊に
  賞翫し給う。しかのみならず、故上総の遺跡を領掌せしむべきの旨仰せ付けらると。
 

9月27日 庚寅
  来月御堂供養の導師下向の間の事、宮内大輔重頼の許に仰せ遣わさると。
 

9月30日 癸巳
  御堂供養の事に依って、警固の為参上すべきの旨、奉書を近国の御家人等に廻さる。
  梶原平三景時・右京の進仲業等これを奉行す。