1193年 (建久4年 癸丑)
 
 

11月4日 丁卯
  鶴岡八幡宮の神事なり。将軍家御参り。先ず問答講を行わる。次いで深更に及び御神
  楽有り。多の好節宮人曲を唱う。時に陰雲俄に掩い雨瑞籬に灑ぐ。寒天暗きと雖も、
  その星宝殿に現ず。神威掲焉たり。凡耳に覃び難しと。
 

11月5日 戊辰
  右近将監久家、去る夜鶴岡に降臨するの星図を進覧す。将軍家殊に仰信有りと。
 

11月8日 辛未
  前の権の僧正眞圓(亮と号す)京都より参着す。これ永福寺の傍らに梵宇を建て、薬
  師如来像を安置せらるるの間、供養導師として招請せらるるに依ってなり。比企右衛
  門の尉能員が宅を点じ、これに招き入れらると。また願文到着す。草は式部大輔光範
  卿、清書は按察使朝方卿と。
 

11月11日 甲戌
  御堂供養の御布施物等の事、行政・俊兼・盛時・仲業奉行としてこれを召し整うと。
 

11月12日 乙亥
  右近将監多の好方神楽の賞を承る。今日飛騨の国荒木郷の地頭職を以て、政所御下文
  を成されをはんぬ。国衙の課役に於いては、先例に任せその勤めを致すべきの由載せ
  らるる所なり。因幡の前司廣元・民部大夫行政等これを奉行すと。
 

11月15日 戊寅
  亮僧正眞圓、鶴岡・勝長寿院等の勝地を巡礼す。その次いでを以て幕府に参る。将軍
  家これに相逢わしめ給う。御贈物に及ぶと。畠山の次郎重忠陪膳に候ずと。
 

11月18日 辛巳
  武蔵の国の飛脚参り申して云く、昨日当国太田庄鷲宮の御寳前に血流る。凶怪たるの
  由と。則ち卜筮するの処、兵革の兆しと。
 

11月19日 壬午
  神馬(鹿毛)を鷲宮に奉らる。また社壇を荘厳すべきの旨仰せ下さる。榛谷の四郎重
  朝御使いたりと。
 

11月23日 丙戌
  上総の国小野田郷の住人本掾太国廉、姨母を刃傷するの罪科に依ってこれを召さる。
  伊豆大嶋に遣わすべきの由、北條殿奉らしめ給う。
 

11月27日 庚寅
  永福寺の薬師堂供養なり。将軍家寺内に渡御す。南門の外に於いて行列を整う。千葉
  の小太郎成胤御劔を持つ。愛甲の三郎季隆御調度を懸くと。
  先陣の随兵
    畠山の次郎重忠         葛西兵衛の尉清重
    蔵人大夫頼兼          村上左衛門の尉頼時
    氏家の五郎公頼         八田左衛門の尉知重
    三浦の介義澄          和田左衛門の尉義盛
    下河邊の庄司行平        後藤左衛門の尉基清
  後陣の随兵
    北條の五郎時連         小山の七郎朝光
    梶原源太左衛門の尉景季     同刑部左衛門の尉定景
    相馬の次郎師常         佐々木左衛門の尉定綱
    工藤の小太郎行光        新田の四郎忠常
  御出の後、午の刻に及んで、導師前の権の僧正眞圓伴僧を相率い参堂す。事終わって
  御布施を引かる。
  導師の分
    錦の被物 二十重        綾の被物 百重
    砂金   五十両        帖絹   二百疋
    紫絹   五十端        白布   二百端
    藍摺   三百端        綿    五百両
    色革   百枚         鞍馬   十疋
   同加布施
    五衣一領、  水晶の念珠、  金作りの劔一腰
  請僧の分口別に
    錦の被物 五重         綾の被物 三十重
    帖絹   五十疋        染絹   五十端
    紫絹   二十端        白布   百端
    藍摺   百端         綿    三百両
    色革   三十枚        鞍馬   三疋
  還御の後、巻絹百・染絹百・宿衣一領・八木百石、送文(近江の国に於いて沙汰を致
  すべしと)等を僧正の旅舘に遣わさる。比企の籐内朝宗御使いたりと。
 

11月28日 辛卯
  僧正帰洛せらる。今夕越後の守義資女事に依って梟首す。加藤次景廉に仰せ付けらる
  る所なり。その父遠江の守義定、件の縁坐に就いて御気色を蒙ると。これ昨日御堂供
  養の間、義資艶書を女房聴聞所に投げをはんぬ。而るに後害を顧み、敢えて披露無き
  の処に、梶原源太左衛門の尉景季が妾(龍樹の前と号す)、夫景季に語る。また父景
  時に通ず。景時将軍家に言上す。仍って眞偽を糺明せらるるの時、女房等の申す詞符
  号するの間此の如しと。三年東家の蝉髪を窺わずんば、一日に豈白刃の梟首に遭わん
  や。
   従五位下越後の守源朝臣義資(年)、遠江の守義定が一男、
   文治元年八月十六日任叙。
 

11月30日 癸巳
  人々恩沢を浴す。因幡の前司廣元・民部大夫行政・大蔵の丞頼平等これを奉行すと。