1194年 (建久5年 甲寅)
 
 

5月2日 壬戌
  由井の浦の辺の漁父、今晩病無くして頓死す。往生の瑞相有り。諸人挙ってこれを観
  るに、端座合掌し聊かも動揺無し。将軍家随喜の余り、梶原の三郎兵衛の尉を以て尋
  ねしめ給うの処、この男日者漁釣を以て世渡りの計らいと為す。但しその間自ら弥陀
  の宝号を唱え、遂に怠らずと。御哀憐有って、象牙を遺跡に下さる。殊に後事を営む
  べきの由仰せらると。
 

5月4日 甲子
  右京の進季時、寺社の訴事を執り申すべきの由仰せ付けらると。
 

5月5日 乙丑
  御所中の屋舎に菖蒲を葺く事、檜皮葺師の所役たるべきの由仰せ下さる。年々政所の
  下部等これを沙汰すと。今日鶴岡八幡宮の神事なり。将軍家御参り有りと。
 

5月10日 庚午
  砂金百三十両を京都に進せらる。且つは伝え献るべき由、一條前の中納言(能保卿)
  の許に仰せ遣わさると。これ東大寺大佛の御光料、去る春の比進せらるるの残りなり。
  三百両入るべきの由と。
 

5月14日 甲戌
  六代禅師の事その沙汰有り。暫く関東に止住せしむべきの由と。これ平治逆乱の時、
  故小松内府源家の為に芳言を施されをはんぬ。思し食し忘れざるに依って此の如しと。
 

5月20日 庚辰
  宇都宮左衛門の尉朝綱法師公田百余町を掠領するの由、下野の国司行房奏聞を経るの
  上、目代を差し進せこれを訴え申す。将軍家殊に驚き聞こし食す所なり。目代の申す
  所その実有らば、重科に行うべきの旨これを召し仰せらると。
 

5月24日 甲申
  侍所着到等の事、義盛・景時故障の時は、沙汰を致すべきの由、大友左近の将監能直
  に仰せ付けらると。
 

5月29日 己丑
  東大寺供養の間の雑事惣目録、民部卿(経房)の奉りとしてこれを送り進せらる。御
  布施並びに僧供料米等の事、且つは家人等を勧進し、沙汰し進せしめ給うべきの由仰
  せ下さるる所なり。最初の建立以来、奉加を以て大功を成しをはんぬ。今尤も助成を
  奉るべきの由と。これに依り因幡の前司廣元・大夫屬入道善信等を奉行として、御書
  を諸国の守護人に下さる。国中を勧進致すべきの由と。