1194年 (建久5年 甲寅)
 
 

11月1日 戊子
  北條殿三嶋の神事経営の為、伊豆の国に下向す。子息五郎主を相具し給うと。
 

11月2日 己丑
  武蔵の国太田庄の堤修固の事、明年三月以前に功を終うべきの旨仰せ下さると。
 

11月4日 辛卯
  鶴岡八幡宮の御神楽なり。将軍家御参り。右近将監大江の久家秘曲等を唱う。畠山の
  次郎重忠・梶原左衛門の尉景季付歌に候ずと。
 

11月7日 甲午
  永福寺内新造の御堂に扉を立てらる。仍って将軍家監臨し給う。工等別禄に預かると。
 

11月8日 乙未
  早馬の上下向並びに御物疋夫等、海道の駅々、大宿分八人・小宿分二人に支配せらる
  と。これ日者これを沙汰し置かるると雖も、新宿加増の間、重ねてこの儀に及ぶと。
 

11月10日 丁酉
  姫君また御不例。諸人群参し幕府物騒す。これに依り神馬を三嶋社に奉らる。新田の
  六郎御使いとして首途すと。この事に依って、江間殿伊豆の国より馳参せらる。願成
  就院修理の為、日来在国すと。
 

11月13日 庚子
  上総の介義兼、鶴岡八幡宮に於いて両界曼陀羅二鋪を供養す。導師は当宮別当法眼、
  題名僧六十口なり。施主布衣を着し廻廊に在り。伊豆の守以下門葉の源氏両三輩同じ
  く列座す。また源高重(安房判官代)・藤原教重(三位判官代と号す)等布施を取る
  と。
 

11月14日 辛丑
  上総の介義兼、因幡の前司廣元を以て申して云く、昨日供養する所の曼陀羅は、将軍
  家の御祈祷なりてえり。仍って宮寺に納め奉るべきの旨、別当法眼圓暁に仰せらる。
  則ち上宮東廊に安置せらると。
 

11月15日 壬寅
  将軍家並びに御台所鶴岡宮に御参りと。
 

11月18日 乙巳
  江間殿奉幣の御使いとして伊豆の国三嶋社に参らる。今朝進発すと。
 

11月19日 丙午
  多気の義幹歎状を捧ぐ。人の讒に依って所領を収公せらるる事、狩野の介これを執り
  申すと。
 

11月20日 丁未
  御堂供養の間、導師以下の施物等京都より到着す。前の掃部の頭親能奉行として調進
  する所なり。
 

11月21日 戊申
  三嶋社の神事なり。殊に御潔齋し、鶴岡の三嶋別宮に参らしめ給う。また御霊前浜に
  於いて千番の小笠懸有り。左衛門の尉義盛これを奉行すと。
  射手
    武田の太郎信義    武田の五郎信光      小山の五郎宗政
    小山の七郎朝光    境兵衛の尉常秀      三浦兵衛の尉義村
    工藤の小次郎行光   榛谷の四郎重朝      小鹿嶋の橘次公業
    渋谷の次郎高重    足利の太郎親成      梶原兵衛の尉景高
    土屋兵衛の尉義清   所雑色基繁        藤澤の次郎清近
    愛甲の三郎季隆    佐々木の三郎盛綱     佐々木の五郎義清
    曽我の太郎祐信    廣澤の三郎重義
 

11月23日 辛亥
  北條殿・江間殿等三嶋より帰参す。願成就院修理の事終うと。
 

11月26日 甲寅
  武蔵・相模両国の乃貢等を京都に進せらる。行政・仲業・實景等これを奉行す。御使
  いは雑色時澤・成里と。
 

11月27日 乙卯
  近国一宮並びに国分寺、破壊を修復すべきの旨仰せ下さると。