1194年 (建久5年 甲寅)
 
 

12月1日 丁巳
  将軍家籐九郎盛長が甘縄の家に入御す。彼の奉行上野の国中の寺社、一向に管領すべ
  きの由、当座に於いて仰せを蒙ると。
 

12月2日 戊午
  御願の寺社に奉行人を定め置かれをはんぬ。而るに今日重ねてその沙汰有って、人数
  を加えらる。
  鶴岡八幡宮(上下)
    大庭の平太景能  籐九郎盛長   右京の進季時   図書の允清定
  勝長寿院
    因幡の前司廣元  梶原平三景時  前の右京の進仲業 豊前の介實景
  永福寺
    三浦の介義澄   畠山の次郎重忠 義勝房成尋
  同阿弥陀堂
    前の掃部の頭親能 民部の丞行政  武藤大蔵の丞頼平
  同薬師堂(今新造)
    豊後の守季光   隼人の佐康清  平民部の丞盛時
 

12月6日 壬戌
  相模・武蔵両国の乃貢等、雑色に付け京都に進せらると。
 

12月10日 丙寅
  越前の国志比庄、比企の籐内朝宗が為に押領せらるるの由、領家の訴え有り。この事、
  去る文治元年、叛逆の衆を羂索せんが為に、軍士を諸国に遣わさるるの時、兵粮米の
  催使を入れらるると雖も、散在の御家人等、事を左右に寄せ狼藉を現すの由、民庶愁
  歎を含むの趣、度々院宣を下さるるの間、三十七箇国の内の諸庄園、今に於いては武
  士の妨げ有るべからざるの旨奏聞するの後、年序を歴をはんぬ。今更この訴え出来す。
  太だ驚き思し食すに依って、朝宗に尋ねらるるの処、押領せざるの由陳謝す。その請
  文を召し本所に遣わさると。
 

12月13日 己巳
  右京の少進季時京都より下着す。御堂供養の導師すでに下向有るべきの由と。
 

12月15日 辛未
  御堂供養の導師、近日下着せしむべきの由、先使到来するの間、その迎えとして御家
  人等を遣わさるべし。また伝馬以下を充て催さるる所なり。三浦の介五疋、和田左衛
  門の尉四疋、梶原平三二疋、中村の庄司五疋、小早河の彌太郎五疋、渋谷の庄司五疋、
  曽我の太郎二疋、原の宗三郎一疋と。この外は所々駅家の雑事と。
 

12月17日 癸酉
  明春御上洛有るべきに依って、供奉の為東国の御家人等を催せらる。親能惣奉行。行
  政これを書き下す。その状の書き様、
   その国の人々、京江沙汰し上るべきの由仰せらるる所なり。もし上洛に堪えざれば、
   鎌倉殿に参り、子細を申さるべきなり。且つは御宿直の為、京上せしめざるの人々
   も催促せらるる所なり。遅参に及ばば、定めて御勘発有るべきかてえり。
 

12月19日 乙亥
  東大寺別当前の権僧正(勝賢)下着す。八田右衛門の尉知家が宅に招き入れらると。
 

[12月20日 丙子
  源蔵人大夫頼兼・宮内大輔重頼等京都より参着すと。]
 

12月22日 戊寅
  囚人妻良の藤二が男厚免を蒙る。御堂供養有るべきに依ってこの儀有り。これ伊豆の
  国の梶取なり。去年雑色時澤を打擲すと。
 

12月26日 壬午
  永福寺内新造の薬師堂供養、導師は前の権僧正勝賢と。将軍家御出で。北條の五郎時
  連御劔を持つ。愛甲の三郎御調度を懸くと。
  供奉人(布衣)
    源蔵人大夫頼兼  武蔵の守義信    信濃の守遠義   相模の守惟義
    上総の介義兼   下総の守邦業    宮内大輔重頼   駿河の守宗朝
    右馬の助経業   修理の亮義盛    前の掃部の頭親能 前の因幡の守廣元
    民部大夫繁政   小山左衛門の尉朝政 下河邊の庄司行平 千葉の介常胤
    三浦の介義澄     同兵衛の尉義村      八田右衛門の尉知家
    足立左衛門の尉遠元  和田左衛門の尉義盛    梶原刑部の丞朝景
    佐々木左衛門の尉定綱 佐々木中務の丞経高    東大夫胤頼
    境兵衛の尉常秀    野三刑部の丞盛綱     後藤兵衛の尉基清
    右京の進季時     江兵衛の尉能範
  最末
    梶原平三景時
  随兵八騎
    北條の小四郎      小山の七郎朝光     武田兵衛の尉有義
    加々美の次郎長清    三浦左衛門の尉義連   梶原左衛門の尉景季
    千葉の新介胤正     葛西兵衛の尉清重
  布施取り
    右兵衛の督高能朝臣   左馬権の頭公佐朝臣   上野の介憲信
    皇后宮大夫の進為宗   前の対馬の守親光    豊後の守季光
    橘右馬権の助次廣    工匠蔵人        安房判官代高重
  導師の布施
    錦被物三重    綾被物七十重  綾百端  長絹百疋
    染絹三百端    白布千端
  加布施
    金作の劔一腰   香呂筥(綾紫絹等を以てこれを作る)
  この外
    馬二十疋     供米三百石
  請僧の布施(口別)
    色々の被物三十重 絹三十疋    染絹三十端 白布二百端
    紺百端      馬二疋     供米百石
 

12月28日 甲申
  将軍家並びに御台所・若公等、永福寺薬師堂に参らしめ給う。供養無為たるの間、故
  に御礼佛の儀に及ぶと。