1195年 (建久6年 乙卯)
 
 

2月2日 戊午
  御上洛有るべきに依って、供奉人以下路次の條々御沙汰に及ぶと。
 

2月4日 庚申
  去年御使いとして上洛せしむる所の雑色鶴次郎・吉野の三郎帰参す。相模・武蔵両国
  の乃貢物等、去る月十二日に進上し、彼の返抄を帯し参上すと。
 

2月5日 辛未
  内藤左近将監盛家新恩を浴す。その上眉目の仰せ等を奉ると。
 

2月8日 甲子
  雑色足立新三郎清経御使いとして上洛す。これ近日御上洛有るべきに依って、海道駅
  家等の雑事・渡船・橋の用意等、先にこれを相触れせしめんが為なり。
 

2月9日 乙丑
  大庭の平太景能入道申文を捧ぐ。これ義兵の最初より大功を抽んづるの処、疑刑を以
  て鎌倉中を追放せらるるの後、愁欝を含みながら、すでに三箇年を歴をはんぬ。今に
  於いては余命後年を期し難し。早く厚免に預かり、今度御上洛供奉の人数に列し、老
  後の眉目に備うべきの趣これを載す。仍って則ち免許し、剰え供奉せしむべきの旨仰
  せを蒙ると。
 

2月10日 丙寅
  御上洛の路次供奉人の事、畠山の次郎重忠は先陣たるべし。和田左衛門の尉義盛は先
  陣随兵の事を奉行せしむべし。梶原平三景時は後陣の事を奉行せしむべし。行列次第
  以下の事は、先年御上洛の例に違うべからざるの旨仰せ下さると。
 

2月11日 丁卯
  鶴岡八幡宮の御神楽なり。将軍家御参宮。梶原源太左衛門の尉景季御劔を持つ。御幣
  殿に着す。随兵等は廻廊の外に在り。寳前に於いて法華経を供養せらる。弁法橋定豪
  導師たりと。
 

2月12日 戊辰
  今暁比企の籐四郎右衛門の尉能員・千葉の平次兵衛の尉常秀使節として俄に以て上洛
  す。これ前の備前の守行家・大夫判官義顕の残党等、今に海道辺に在存し、今度御上
  洛の次いでを伺い、会稽の本意を遂げんと欲するの由、巷説出来するの間、路次の障
  碍たるべきに依って、先ず駅々に於いて子細を尋ね聞き、事もし実ならば、秘計を廻
  し搦め取るべきの旨將命を含むと。両人共供奉の人数たるべきと雖も、勇敢を守り忽
  ちこの儀に及ぶと。
 

2月13日 己巳
  鶴岡八幡宮の臨時祭。流鏑馬・競馬・相撲等頗る結構の儀有り。将軍家奉幣せしめ給
  う。
 

2月14日 庚午
  巳の刻に将軍家鎌倉より御上洛。御台所並びに男女の御息等、同じく以て進発し給う。
  これ南都東大寺供養の間、御結縁有るべきに依ってなり。畠山の次郎重忠前陣に候ず
  と。