3月7日 [平家物語]
上総悪七兵衛景清は、降人に参りたりけるが、大仏供養の日をかぞへて、建久七年三
月七日にてありけるに、湯水をとどめて終に死にけり。
4月15日 天晴 [明月記]
今日仲頼解官の由宣下をはんぬ。また蔵人邦季追爵をはんぬ。その替わりに、前の大
将熱田宮司等の党を吹挙す。中條蔵人と称し、去年前駆せしめ参内せらるる所のもの
と。
6月25日 天晴 [明月記]
今日一條辺に兵士等追捕の事有り。故知盛卿が子冠者、その党類を聚め、明暁一條を
襲わんと欲す。その事を兼ねて聞き、仍って今日皆悉く追捕せらると。
*[愚管抄]
頼朝がむすめを内へまいらせんの心ふかく付てあるを、通親の大納言と云人、この御
めのとなりし刑部卿三位(範子)をめにして、子ども生せたるをこめ置たりしを、さ
らにわがむすめまいらせむと云文かよはしけり。明雲が弟子の梶井の宮(承任法親王)
と云人、また浄土寺の二位(高階栄子)密通の聞こえ有り。是等がいひ合せつつ、成
経、實教など云諸大夫の家、宰相中将になりたる。とどめなんどせられし事は、皆頼
朝に云合せつつ、かのま引にてこそあり。(中略)内の御気色をうかがふに、又いた
う事うるはしくて、善政善政とのみ云て、御遊ども憚らしく思召けんをも見まいらせ
て、ここにては頼朝が気色かうと申し、関東へは君の御気色わろく候と云て、をもて
を何となく成して、又一定をとはんをりは、両方に会釈をまうくる由の案どもにて、
これは定まれる奇謀のならひなり。
11月7日 [筑後和田文書]
**前右大将家政所下文案
前の右大将家政所下す 和泉の国御家人等
早く左衛門の尉平義連の催促に随い大内大番を勤仕すべき事
右、御家人等、彼の義連の催促に随い、懈怠無く大内大番役を勤仕すべきの状、仰せ
の所件の如し。以て下す。
建久七年十一月七日 案主清
令大蔵丞藤原印 知家事中原
別当兵庫頭中原朝臣印
散位藤原朝臣印
11月18日 癸巳 晴 [三長記]
窮屈術無し。然れども相扶け殿下に参る。而るに諸人色を作す。驚き相尋ぬるの処、
補弼退せしめ給うべきの由巷説嗷々すと。この事兼日頗る有りと。
11月19日 甲午 晴 [三長記]
夜に入り参内す。次いで召しに依って殿下(九條殿)に参る。奏せらるるの事有り。
座主房領事等なり。衆口嗷々の事すでに露顕か。天良弼を亡ぼすか。悲しむべし。
11月21日 丙申 晴 [三長記]
太政大臣申せらるるの趣を奏す。左右仰せ無し。次いで右府の許に参る。無動寺楞厳
三昧院検校の事宣下す。座主御譲りに依って、殿法院を以て補せらる。
11月23日 [愚管抄]
中宮は八條院へいで給ひけり。
[三長記]
殿下に参る。今夜中宮八條院に行啓す。晩鐘以後行啓。公卿坊門大納言・権大夫・左
大弁・右三位中将・皇太后宮大夫・大蔵卿供奉す。啓次将成定・定家朝臣・家司権亮
以下供奉す。予その中に在り。巷説嗷々、事すでに露顕、仍って中宮八條院に行啓す。
予殊に存意有り。
11月25日 [愚管抄]
前の摂政(基通)に関白氏の長者を宣下せられ、また上卿通親・弁親国・職事朝経と
聞こえけり。
[皇帝紀抄]
関白辞し申さしめ給う。同日前の摂政内大臣(基)を以て関白並びに氏の長者と為す。
[三長記]
頭亮密語に曰く、今日関白の事宣下せらるべしと。関白詔の事、上卿土御門大納言・
右少弁親国・蔵人の佐朝経等奉行す。大内記宗業・大外記師直参仕なり。今朝頭右兵
衛の督を以て辞し申せしめ給うと。御上表を進せずと。
11月26日 [愚管抄]
かかりければ九條殿の弟(慈圓)山の座主にてありける。何も皆辞してければ、その
所に梶井の宮承任は座主になされたりける。慈圓僧正座主辞したる事をば、頼朝も大
にうらみをこせり。
[三長記]
今日座主上表し給うと。天台座主・法務権僧正皆辞退す。また御持僧内御祈願巻数を
進せらる。御本尊に返し進せらると。御連枝の中殊に憑み奉りしめ給う。仍って辞し
申せしめ給うなり。
11月28日 癸卯 晴 [三長記]
或人告示して云く、九條殿に参るの人、関東将軍咎めを成す。用心すべしと。この事
信ずべからず。縦えまた咎めを成すと雖も、御恩を以て立身の者不参有るべからず。
運命天に在り。宿報なり。
11月30日 己巳 晴 [三長記]
今日天台座主の事を宣下せらると。加持井補し給う。日来風聞なり。
12月5日 甲戌 晴 [三長記]
去る夜前の右大将の申状等(九條殿御時仰せ遣わせらる條の返事なり)左大弁奏聞す。
件の條殿下に申すべきの由仰せ下さる。仍って持参するなり。
今日関白殿御拝賀なり。秉燭以後御参内有り。殿上人七人、前駈二十人ばかり、扈従
の公卿二人(権大納言・三位中将、御弟御子なり)。
12月26日 辛未 雨降る [三長記]
今夜下名を行わる。上卿源中納言と。任人数輩。抑も廣房の解任尤も不便なり。光輔
座主宮引汲すと。仲経朝臣伯州を任ず。坊門中納言知行一国。嫡男修理大夫たり。二
男また丹後を任ず。一家素餐を以て生と為す。今此の如き部禄、臣抽身すべきの秋か。
悲しむべし。