1202年 (建仁2年 壬戌)
 
 

4月3日 丁丑 霽
  鶴岡臨時祭例の如し。但し左金吾御出で無し。遠州御使いとして神拝せしめ給う。
 

4月13日 丁亥 晴、風烈し。
  左金吾掃部の頭親能入道の亀谷の家に渡御す。彼の持仏堂の庭の樹下に於いて御鞠有
  り。金吾出でしめ給う。伯耆少将。北條の五郎・紀内行景・比企の彌四郎・富部の五
  郎・肥多の八郎・源性・義印等これに候ず。南風頻りに扇き員上がらず。
 

4月27日 辛丑
  御鞠有り。人数例の如し。秉燭の程、左金吾小鞠を召し寄せ、数百二十を揚げしめ給
  う。行景傍らに見奉り、天骨を得給うの由頻りに以てこれを感じ申す。