1203年 (建仁3年 癸亥)
 
 

2月4日 癸卯 晴
  辰の刻、将軍家御舎弟(千幡君)鶴岡宮に参らしめ給う。江間の四郎殿これを扶持し
  奉らる。神馬二疋を奉らる。結城の七郎朝光・所右衛門太郎光季これを引く。下手は
  神人(職掌と号す)等なり。午の刻に祭並びに御神楽有り。将軍家御参宮。御奉幣例
  の如し。
 

2月5日 甲辰 雨降る
  彼岸の初日に当たり、尼御台所鶴岡神宮寺に於いて法華経を供養せらる。導師は安楽
  坊。請憎六口。上絹・紺絹各々三十疋、奥布二百端を以て施物に充てらる。善信これ
  を沙汰す。
 

2月11日 庚戌
  鶴岡宮の塔地曳きこれを始む。去る建久三年炎上の後その沙汰無し。今日旧跡を興さ
  る。将軍家出御す。遠州・大官令等扈従す。大夫屬入道惣奉行たるなり。
 

2月16日 乙卯
  御鞠有り。北條の五郎・紀内・肥田の八郎・源性・義印等参る。