1203年 (建仁3年 癸亥)
 
 

4月3日 辛丑
  鶴岡祭例の如し。将軍家御参り。江間の四郎主奉幣の御使いたり。
 

4月6日 甲辰
  伊豫の国の御家人河野の四郎通信、幕下将軍御時より以降、殊に奉公の忠節を抽んず
  るの間、当国守護人佐々木三郎兵衛の尉盛綱法師の奉行に懸けず、別の勤厚を致すべ
  し。兼ねてまた旧の如く国中の近親並びに郎従を相従うべきの由、御教書を給う。平
  民部の丞盛時これを奉行す。通信年来鎌倉に在るの処、適々身の暇を賜り、明旦帰国
  すべきの間、御前に召しこの御教書を給うと。
 

4月21日 己未
  御鞠。伯耆少将・北條の五郎・紀内所・比企の彌四郎・肥田の八郎・源性・義印等こ
  れに候ず。