1203年 (建仁3年 癸亥)
 
 

5月5日 壬申
  鶴岡臨時祭。将軍家御参宮。
 

5月18日 乙酉
  将軍家鶴岡別當坊に渡御す。伯耆少将・右近衛大夫将監親廣等扈従す。御鞠有り。人
  数例の如し。


5月19日 丙戌
  子の刻、阿野法橋全成(幕下将軍御舎弟)謀叛の聞こえ有るに依って、御所中に召し
  籠めらる。武田の五郎信光これを生虜る。即ち宇都宮四郎兵衛の尉に預けらると。
 

5月20日 丁亥
  将軍家比企の四郎を以て尼御台所に申されて云く、法橋全成叛逆を企てるに依って生
  虜る所なり。彼の妾阿波の局殿内に官仕するか。早く召し給え。子細を尋ね問うべき
  こと有りと。然る如き事、女性に知らしむべからざるか。随って全成去る二月比駿州
  に下向するの後、音信を通ぜず。更に疑う所無きの由御返事を申され、これを出し進
  せられずと。
 

5月25日 壬辰
  申の刻、阿野法橋全成常陸の国に配す。
 

5月26日 癸巳 晴
  将軍家狩猟の為伊豆の国に御進発。
 

5月28日 乙未
  鶴岡宮の供僧等、去る二十六日より将軍家御旅行の御祈祷に勤仕す。仍って政所の沙
  汰として御布施を下さる。白布三十端・八木十果なり。
 

5月29日 丙申
  御留守の程たりと雖も、隼人入道、紀内所行景・富部の五郎・源性・義印等を召請す。
  鞠會有り。