1203年 (建仁3年 癸亥)
 
 

7月4日 庚午
  未の刻、鶴岡八幡宮、経所と下廻廊と造合の上より、鳩三喰い合い地に落ち。一羽死
  ぬ。
 

7月9日 乙亥
  辰の刻、同宮寺閼伽棚の下に、鳩一羽頭切れて死す。この事先規無きの由、供僧等こ
  れを驚き申す。
 

7月18日 甲申
  御所の御鞠なり(今日以後この御会無し)。北條の五郎時房・紀内行景・富部の五郎
  ・比企の彌四郎・肥田の八郎・源性・義印等参る。
 

7月20日 丙戌 晴
  戌の刻、将軍家俄に以て御病悩。御心神辛苦す。直也事に非ずと。
 

7月23日 己丑
  御病悩既に危急の間、数箇の御祈祷等を始行せらる。而るに卜筮の告げる所、霊神の
  祟りと。
 

7月25日 辛卯
  相模権の守の使者京都より到着す。申して云く、去る十六日在京の御家人等を催し遣
  わし、東山延年寺に於いて播磨公頼全(全成法橋息)を窺い、これを誅戮せしむと。
 

7月27日 [北條九代記]
  金吾将軍病を受く。