1203年 (建仁3年 癸亥)
 
 

11月3日 丁卯 晴
  将軍家御慶賀の後、始めて神馬を石清水八幡宮に奉り給う。和田兵衛の尉常盛(布衣
  を着す)御使いたり。

[愚管抄]
  終に、一万若をば義時とりてをきて、籐馬と云う郎等にさしころさせてうづみてけり。

[北條九代記]
  義時、籐右馬の允を使いとして一萬公を誅す。
 

11月6日 庚午
  左金吾禅室、伊豆の国より御書を尼御台所並びに将軍家に進せらる。これ深山幽棲、
  今更徒然を忍び難し。日来召仕う所の近習の輩、参入を免されんと欲す。また安達右
  衛門の尉景盛に於いては、これを申請し、勘発を加うべきの旨これを載せらる。仍っ
  てその沙汰あり。御所望の條々然るべからず。その上御書を通ぜらる事、向後停止せ
  らるべきの趣、今日三浦兵衛の尉義村を以て御使いと為しこれを申し送らると。
 

11月7日 辛未
  入道左金吾近習の輩中野の五郎以下、遠流に処せらるべきの由その定め有りと。
 

11月9日 癸酉
  将軍家前の大膳大夫廣元朝臣の家に入御す。尼御台所同じく渡御す。
 

11月10日 甲戌
  三浦兵衛の尉義村豆州より帰参す。彼の御閑居の躰具にこれを申す。尼御台所頗る御
  悲歎と。
 

11月15日 己卯
  鎌倉中の寺社奉行の事、更にこれを定めらる。仲業・清定執筆としてこれを記す。
  鶴岡八幡宮
    江間の四郎    和田左衛門の尉  清図書の允
  勝長壽院
    前の大膳大夫   小山左衛門の尉  宗掃部の允
  永福寺
    畠山の次郎    三浦兵衛の尉   善進士
  阿彌陀堂
    北條の五郎    大和の前司    足立左衛門の尉
  薬師堂
    源左近大夫将監  千葉兵衛の尉   籐民部の丞
  右大将家法華堂
    安達右衛門の尉  結城の七郎    中條右衛門の尉
 

11月19日 壬午
  関東御分国並びに相模・伊豆の国々の百姓に仰せ、当年乃貢の員数を減ぜらる。将軍
  御代始として、民戸を休せらるべき善政なりと。
 

11月23日 丙戌
  将軍家馬場殿に於いて小笠懸を射さしめ給う。小山左衛門の尉・和田左衛門の尉等こ
  れを扶持し奉る。各々御馬を賜う。遠州御沙汰なり。