1204年 (建仁4年、2月20日改元 元久元年 甲子)
 
 

2月9日 癸卯 晴
  鶴岡御神楽例の如し。前の大膳大夫廣朝臣奉幣の御使いたり。
 

2月10日 甲辰
  伊勢の国員辨郡司進士行綱、囚人として召し置かる。義盛の訴えに依ってなり。
 

2月12日 丙午
  将軍家由比濱に出でしめ給う。供奉人江間の四郎以下水干を着せらる。或いは野箭或
  いは征箭なり。北條の五郎・和田の平太・多々良の四郎・榛谷の四郎・海野の小太郎
  ・望月の三郎・諏訪大夫・藤澤の次郎・愛甲の三郎、各々小笠懸・遠笠懸の的等を射
  る。桟敷に於いて御覧有り。
 

2月13日 丁未
  法華堂御佛事。導師は摩尼房阿闍梨と。
 

2月15日 天晴 [明月記]
  今日時親が沙汰として安部の有定を搦める(衣装を着るに及ばす搦め取り車に乗すと。
  関東虚言の同類に依ってなり)。
 

2月20日 甲寅
  諸庄園の所務等、一事以上右大将家御時の例に任せ沙汰せらるべきの旨、遠州下知せ
  しめ給うと。

[明月記]
  今日革令仗儀なり。頭の弁これを奉行す。(中略)年号元久を用いらると。
 

2月21日 乙卯
  尼御台所御逆修を始行せらる。

[出羽市河文書]
**関東下知状
   信濃国中野郷内五郎能成屋敷・名田等の事
  右、名田拾町並びに当所居住屋敷、安堵せしむ所なり。所従等の事、田に付け元の如
  く召仕いせしむべし。四郎の妨げを止めしむべきの状、仰せに依って下知件の如し。
    建仁四年二月二十一日      遠江の守(花押)
 

2月22日 丙辰
  備後の国御調本北條、地頭四方田左近将監が沙汰を停止し、国衙に付けらると。遠州
  下知す。
 

2月25日 己未
  将軍家江間の四郎が亭に渡御す。
 

2月28日 壬戌
  今日御逆修結願なり。導師は寿福寺方丈。