1206年 (元久3年、4月27日改元 建永元年 丙寅)
 
 

10月1日 戊申 天晴 [明月記]
  義成犯人を搦め取るの日、兵衛の佐範茂が侍その所に臨み、犯人を打ち得る。件の男
  範茂の家に在り。而るに御所に参り座に着き飲食しをはんぬ。仍って御所すでに乙穢
  たるの由沙汰切りをはんぬ。
 

10月8日 天晴 [明月記]
  今日義成堂衆の頸並びに生虜りを渡すべしと。上下競馳す。
 

10月20日 丁卯 陰
  左金吾将軍御息の若君(善哉公)、尼御台所の仰せに依って、将軍御猶子として始め
  て営中に入御す。御乳母夫三浦平六兵衛の尉義村御賜物等を献る。
 

10月24日 辛未
  相州の二男(年十三)御所に於いて元服す。次郎朝時と号す。