1206年 (元久3年、4月27日改元 建永元年 丙寅)
 
 

11月5日 天晴 [明月記]
  伝聞、吉富の地頭代官等私に逐電しその職を去るの由風聞すと。未だ定説を聞かず。
 

11月6日 天晴 [明月記]
  吉富の事大略一定の由、親能入道の辺より伝聞す。三度の院宣誠に忝なきものなり。
 

11月18日 乙未
  東の平太重胤下総の国より参る。これ無双の近仕なり。而るに白地の暇を給い下向す
  るの処、在国数月に及ぶ。仍って御詠歌を遣わしこれを召さると雖も、猶以て遅参す
  るの間、御気色を蒙り籠居すと。

[明月記]
  夜に入り関東の使者帰り来たる。地頭すでに停止の由請文有り。所労不快に依って、
  忠弘を以て大納言の許に送りをはんぬ。
 

11月20日 丁酉
  佐々木の五郎義清、御出の事を奉行致すべきの由これを承ると。
 

11月27日 天晴 [明月記]
  後聞、大臣殿すでに遂げしめ給う。法然房戒師たり。法印剃り奉る。實信被物を取る。
  盛親布施(絹)を取る。納言野剱・衣帽・直衣を取らる。剃髪の後、染衣を着し受戒
  し給う。