1207年 (建永2年、10月25日改元 承元元年 丁卯)
 
 

10月2日 甲辰
  囚人磐五家次を推問せらる。所存を隠密せず、悉く以て白状に載す。罪科異儀無きの
  間、殊に禁遏を加えらるる所なり。
 

10月8日 庚戌 南風頻りに扇き、終日休止せず
  夜に入り若宮大路の人家焼亡す。猛火烈しく烟炎飛ぶが如し。数町に及ぶ。
 

10月25日 天晴 [明月記]
  病気不快。今夜改元、承元元年と。
 

10月29日 辛未 風烈し
  掃部入道帰洛す。