1207年 (建永2年、10月25日改元 承元元年 丁卯)
 
 

11月5日 丙子 霽
  改元の詔書到着す。去る月二十五日、建永二年を改め承元元年と為す。問注所入道こ
  れを持参す。
 

11月8日 己卯 陰
  鶴岡宮の御神楽、将軍家御参宮。
 

11月17日 戊子
  伊勢の国木幡村は、伊勢平氏富田の三郎基度が為、年来領家を忽諸しこれを押領す。
  滅亡の後また没収地として、新地頭を補せらるるの間、領家女房頻りにこれを愁い申
  す。大夫屬入道善信を奉行と為し、今日その職を停止し、本の如く領家の進止たるべ
  きの由仰せ遣わさると。
 

11月19日 庚寅
  遠州禅門の御願として、伊豆の国願成就院の南の傍らに塔婆を建立せらる。今日供養
  を遂げらる。本仏は大日五佛等の尊容と。