1208年 (承元二年 戊辰)
 
 

10月10日 丙子 晴
  尼御台所御宿願を果たさんが為熊野山に御参り。今朝卯の刻進発せしめ給う。武蔵の
  守扈従す(同二十七日に御入洛なり)。
 

10月17日 天晴 [明月記]
  射場始めなり。去る五日朱雀門の事に依って式日を延ばさる。
 

10月21日 丁亥
  東の平太重胤(東所と号す)先途を遂げ、京都より帰参す。即ち御所に召さる。洛中
  の事等を申す。先ず熊谷次郎直實入道、九月十四日未の刻を以て終焉の期たるべき由
  相触るの間、当日に至り、結縁の道俗彼の東山の草庵を囲繞す。時刻に衣袈裟を着し、
  礼盤に昇り、端座合掌す。高声に念仏を唱え執終す。兼ねて聊かも病気無しと。次い
  で去る月二十七日の夜半、朱雀門焼亡す。常陸の介朝俊(朝隆卿四代の末孫。弓馬・
  相撲の達者)松明を取り門に昇り、鳩の子を取り帰り去るの間、件の火この災いを成
  す。凡そ近年天子・上皇悉く鳩を好ましめ給う。長房・保教等本より鳩を養う。時を
  得て殊に奔走すと。彼の門の焼亡に依って、去る五日の射場始め延引すと。