6月13日 乙亥
土屋の三郎宗遠款状を捧ぐ。これ右大将軍の御時以来勤厚を竭すなり。家茂は、謀叛
人景時が孫子なり。且つは奉公と不忠と対揚せられ難きの間、兵具を進すと雖も、爭
かこれを召し禁められんか。眉目を失うの由これを載す。義盛これを執り申す。将軍
家直にこれを覧玉い、仰せて云く、状の趣その理無し。当時沙汰有るべからずと雖も、
先考の御月忌に当たりこの愁い有り。併しながら彼の照鑒に優じ奉り、これを厚免せ
らると。
6月16日 [筑後和田文書]
**将軍家下文案
下 和泉の国御家人等
早く左兵衛の尉平盛連の催促に随い、大内大番に勤仕すべき事
右、御家人等彼の盛連の催促に随い、懈怠無く大内大番役に勤仕すべきの状、鎌倉殿
の仰せに依って、下知件の如し。
承元三年六月十六日 惟宗(孝實)
前図書の允清原(清定)
散位中原朝臣(仲業)
散位藤原朝臣(行政)
書博士中原朝臣(師俊)
6月19日 辛巳
源の近利鶴岡の職掌に加えらる。図書の允清定奉行としてこれを沙汰す。