1214年 (建保2年 甲戌)
 
 

1月1日 [古今著聞集]
  鎌倉右府将軍家に正月朔日大名とも参たりけるに、三浦介義村もとより作て大侍の座
  上に候けり。其後千葉介胤綱まひりたりける。いまだ若物にて侍けるに、おほくの人
  を分すにて座上せめたる義村が猶上に為てけり。義村しるへくもおもいて、いきとを
  りたる気色にて、下総犬はふしとをしらぬそとよと云たりけるに、胤綱すこし意気色
  らしてとりあへす、三浦犬は友をくらふ也といひたりけり。輪田左衛門か合戦の時の
  ことをおもひていへるなり。ゆゝしくとりあへすはいへりける。
 

1月3日 己巳 霽
  午の刻、将軍家鶴岡八幡宮に御参り。この間由比浜の人屋等焼失す。申の刻また同宮
  に御参詣し給う。先度の御奉幣、火事に依って物騒なるが故なりと。
 

1月7日 [明月記]
  加叙、正四位下中原廣元(旧更)。
 

1月12日 戊寅 晴
  御的始め二五度、射手各々禄を賜う。
 

1月22日 戊子 霽
  将軍家鶴岡宮に詣でしめ給う(御束帯、御車)。伊賀の守朝光御劔を役す。佐々木左
  近将監信綱御調度を懸く。相州・武州・前の大膳大夫・修理の亮・弾正大弼・遠江の
  守親廣・蔵人大夫朝親・民部大夫行光・刑部大夫経俊・山城判官行村・小山左衛門の
  尉朝政・三浦左衛門の尉義村・結城左衛門の尉朝光等供奉す。還御の後、二所の御精
  進を始めらる。
 

1月28日 甲午 快晴
  将軍家二所に御進発。
 

1月29日 乙未 霽
  箱根並びに三嶋社等に御奉幣。