1214年 (建保2年 甲戌)
 
 

2月1日 丙申 晴
  亥の刻地震。今日将軍家伊豆山に御参り。夜に入り御奉幣。
 

2月3日 戊戌 陰(座)
  晩景二所より御帰着。安達籐右衛門の尉景盛予め御所経営に儲く。盃酒を献ず。今日
  供奉の輩皆参候し、上下盃酌数巡に及ぶ。縡美を尽くし、終夜諸人淵酔すと。
 

2月4日 己亥 晴
  将軍家聊か御病悩。諸人奔走す。但し殊なる御事無し。これ若しくは去る夜御淵酔の
  余気か。爰に葉上僧正御加持に候するの処、この事を聞き、良薬と称し、本寺より茶
  一盞を召し進す。而るに一巻の書を相副えこれを献らしむ。茶の徳を誉める所の書な
  り。将軍家御感悦に及ぶと。去る月の比、坐禅の余暇にこの抄を書き出すの由これを
  申す。
 

2月7日 壬寅 晴
  寅の刻大地震。
 

2月10日 乙巳 暁少し風吹く、朝陽快晴
  今日、坊門新黄門(忠信)の使者京都より参着す。蹴鞠の書一巻を送り進せらる。彼
  の卿去年十二月二日、紫革の襪を聴さる。宗長等の朝臣これに同じと。将軍家諸道を
  賞翫し給う中、殊に御意に叶うは、歌・鞠の両芸なり。
 

2月14日 己酉 霽
  将軍家烟霞の興を催せられ、杜戸浦に出でしめ給う。長江の四郎明義御駄餉を儲く。
  彼の所に於いて小笠懸有り。壮士等各々その芸を施す。漸く黄昏に及び、明月の光を
  待ち孤舟に棹さし、由比浜より還御すと。
 

2月15日 庚戌 陰
  戌の刻月蝕。白雲を透かし七分正見す。
 

2月23日 戊子 晴
  将軍家鶴岡に御参り。相州供奉し給う。