1214年 (建保2年 甲戌)
 
 

3月9日 甲辰 晴
  晩に及び、将軍家俄に永福寺に御出で。桜花を御覧ぜんが為なり。修理の亮・山城判
  官行村・東の平太重胤・宮内兵衛の尉公氏等御共に候す。上下歩儀なり。戌の刻還御
  の期に及び、御車を寺門に儲く。
 

3月11日 丙午
  山城判官行村、二階堂の事を奉行すべきの由これを奉る。