1215年 (建保3年 乙亥)
 
 

1月1日 辛酉 晴
  将軍家鶴岡八幡宮に御参り。御車を用いらる。筑後左衛門の尉朝重御劔を役す。相州
  ・武州・修理の亮・遠江の守親廣・伊賀の守朝光・筑後の守有範・左衛門大夫光員・
  左近大夫朝親・左近大夫親實等供奉す。
 

1月7日 丁卯 晴
  将軍家また鶴岡宮に詣でしめ給う。
 

1月6日 [北條九代記]
  前の遠江の守従五位下時政卒す。
 

1月8日 戊辰 霽
  伊豆の国の飛脚参り、申して云く、去る六日戌の刻、入道遠江の守従五位下平朝臣(年
  七十八)、北條郡に於いて卒去す。日来腫物を煩い給うと。
 

1月11日 辛未
  若宮辻の人家焼亡す。余焔籐右衛門の尉景盛が宿所に及ぶ。酉戌両時の間、二十余町
  悉く灰燼と為る。
 

1月20日 庚辰
  坊門内府の御使い御台所の御方に到来す。これ来二月素懐を遂げしめ給うべきの由な
  り。また件の使者申して云く、去年十二月二十九日の晩景、殿上に於いて蔵人勘解由
  次官平の宗宣と中宮大進籐の兼隆と闘諍を起こす。大進次官を打つ。仍って翌日三十
  日兼隆土佐の国に配流せらる。参議定家卿結政に参り、請印を行わると。
 

1月25日 乙酉
  御持仏堂に於いて文殊像を供養せらる。導師は行勇と。