1215年 (建保3年 乙亥)
 
 

2月2日 辛卯
  左衛門大夫光員上洛す。これ御台所の御使いたり。坊門内府今月御除髪の儀有るべし。
  また御逆善を修せらるべきに依って、捧物を進せらるる所なり。
 

2月18日 丁未
  諸国の関・渡の地頭に仰せ、旅人の煩いを止めらるべし。但し船賃用途の如きは、料
  田を立てその替わりを募るべしと。

[愚管抄]
  さて信清は一定死なんずと親しき疎き思たる重病久くわづらいて、やみ生て終に大臣
  になされて、建保三年二月十八日に出家して、同四年二月十五日にうせにけり。
 

2月24日 癸丑 晴
  戌の刻雷電数声。