1215年 (建保3年 乙亥)
 
 

3月3日 壬戌 晴
  将軍家鶴岡宮に御参り。法会・舞楽例の如し。
 

3月5日 甲子 快霽
  将軍家花を覧玉わんが為三浦横須賀に御出で。相州・大官令已下数輩扈従す。義村が
  一族等御駄餉を儲く。
 

3月13日 壬申
  法華堂に御参り。御仏事を修せらる。大学房法眼行慈の弟子慈淵御導師たり。また鶴
  岡の供僧たるの者、この御仏事に従うべからざるかの由その沙汰有りと。
 

3月16日 [皇帝紀抄]
  山の座主並びに僧綱等参院す。園城寺の衆徒、昨日東坂本に行き向かい、兵士の屋並
  びに在家等を焼かしむる事を訴え申す。
 

3月20日 己卯
  今日仰せ下されて云く、京進の貢馬は、その役人面々、逸物三疋を以て、兼日に用意
  せしめ見参に入るべし。撰定は御計らい有るべきなり。