1215年 (建保3年 乙亥)
 
 

10月1日 丙戌
  相州桑絲五十疋を進せらる。即ち御前に於いて近士等に分賜すと。
 

10月2日 丁亥 晴
  寅の刻地震。
 

10月10日 乙未
  越後の国検断の事、守護人相共に沙汰を致すべきの旨、西念承りをはんぬ。
 

10月30日 乙卯 霽
  鶴岡の浜の鳥居新造せらる。去る八月大風に依って顛倒するが故なり。相州・武州・
  匠作已下人々多く以て監臨し給う。晩に及びその功を終う。而るに足代顛倒するの間、
  匠一人・疋夫二人打ち損わる。これ重服の人々相交わらる故かの由、別当・供僧等こ
  れを申すと。