1216年 (建保4年 丙子)
 
 

7月15日 丙申 陰
  月蝕正見せず。今日御台所寿福寺に渡御す。先考の奉為盂蘭盆供を刷わる。大夫判官
  行村参上せしめこれを奉行す。
 

7月29日 庚戌 快晴
  小河法印忠快相模河に於いて六字河臨法を修す。仍って将軍家御出で。随兵十二人先
  陣に候す。次いで六位十二人(水干を着し野矢を負う)御輿の前に在り。
  随兵  (二行)
    式部の丞泰時          結城左衛門の尉朝光
    相模の次郎朝時         長沼の五郎宗政
    伊豆左衛門の尉頼定       土岐左衛門の尉光行
    三浦左衛門の尉義村       宇佐美右衛門の尉祐茂
    河越の次郎重時         筑後左衛門の尉朝重
    下河邊の四郎行時        伊東兵衛の尉祐時
  狩装束(二行)
    佐貫右衛門の尉廣綱       三浦九郎右衛門の尉胤義
    小野寺左衛門の尉秀道      武藤左衛門の尉頼茂
    宗左衛門の尉孝親        嶋津左衛門の尉忠久
    波多野中務の丞忠綱       関左衛門の尉政綱
    佐々木左近将監信綱      [江左衛門の尉能範]
    左衛門大夫光員        [刑部大夫経俊]
  次いで御輿
  相州・武州・陸奥の守廣元朝臣・大學の頭仲章朝臣・信濃の守行光・大夫判官行村・
  小山左衛門の尉朝政已下供奉す。御後凡そ一万騎に及ぶ。無双の壮観なり。亥の刻還
  御す。