1216年 (建保4年 丙子)
 
 

8月3日 甲寅 晴
  去る月二十一日の除書参着す。将軍家更に左近中将を兼ねしめ給う。

**[武家年代記]
  七月二十日左中将に転ず。
 

8月15日 丙寅 陰
  鶴岡の放生会。将軍家御参宮。
 

8月16日 丁卯 晴
  同じく御出で。流鏑馬已下例の如し。
 

8月19日 庚午 霽
  鶴岡宮の傍らに、別当定暁僧都北斗堂を建立す。今日供養を遂ぐ。小河法印忠快導師
  たり。尼御台所入堂せしめ給う。晩に及び故伊賀の守朝光追福の為、塔婆(永福寺郭
  内に在り)を造立し供養す。導師は荘厳房律師行勇、施主は相州の室並びに光季・光
  宗等と。夜に入り御台所御所に入御す。日来故坊門内府禅室の御事に依って、他所に
  御座すなり。
 

8月23日 [皇帝紀抄]
  戌の時より子の刻に及び大風。堂舎屋多く以て破損す。樹木顛倒し、外記廰の桜樹吹
  き倒る。官廰の南門・大炊寮の門等顛倒す。
 

8月24日 乙亥
  相州仰せを承り、證菩提寺に於いて、故佐奈田の与一義忠が追善を修し給うと。