1217年 (建保5年 丁丑)
 
 

2月2日 己酉 晴
  将軍家二所より還御す。
 

2月8日 丁卯 霽
  鶴岡宮の神事例の如し。将軍家御参宮。
 

2月14日 [明月記]
  道昌申して云く、白虹日を貫く由と。正暦三年月此の如き笠(二重)有り。指せる変
  に非ざる由これを申す。
 

2月19日 丙寅 晴
  右京兆の室重服に依って万年九郎が宅に移住し給う。これ去る十日、母儀(山城前司
  行政の女)京都に於いて卒去するの由、飛脚到来するが故なり。