1217年 (建保5年 丁丑)
 
 

7月24日 己亥 晴
  京都の使者参着す。去る十日より上皇御瘧病、毎日発らしめ給う。内外の御祈祷更に
  その験を見ずと。
 

7月26日 辛丑 晴
  山城大夫判官行村使節として上洛す。院の御悩の事に依ってなり。