1217年 (建保5年 丁丑)
 
 

12月10日 癸丑 晴
  前の大膳大夫入道覺阿所労平癒の間、今日沐浴す。但し眼精暗くして黒白を分かつこ
  と能わずと。
 

12月24日 丁卯 霽
  右京兆、去る十二日陸奥の守を兼ね給う。仍って御所に参賀せらる。美作左近大夫朝
  親申次ぎたり。
 

12月25日 戊辰 晴
  夜に入り将軍家御方違えの為、永福寺内の僧坊に渡御す。公氏御劔を役す。相模式部
  大夫・結城左衛門の尉朝光・山城判官次郎基行等御共に候す。御騎馬。李部已下[は
  歩儀なり]。縡密々の間参会の人無し。彼の僧坊に於いて、行村の許より獣形一合・
  桃九枝を召さる。終夜続歌の御会有り。
 

12月26日 己巳 霽
  未明に還御す。而るに御衣二領を彼の僧坊に残し置かる。剰え一首の御詠歌を副えら
  る。凡そこの御時事に於いて御芳情を尽くさると。
   春まちてかすみの袖にかさねよとしもの衣を置てこそゆけ