1219年 (建保7年、4月12日改元 承久元年 己卯)
 
 

10月13日 [愚管抄]
  大納言公経、終に右大将になしたぶべしとて、よろこび申の出立せよと仰られにけり。
 

10月20日 壬午 晴
  戌の刻、伊豫中将實雅朝臣(一條入道二品能保卿の末子)右京兆の嫡女(母伊賀の守
  朝光の女)に嫁す。大倉の家(右京兆居所の傍ら)に迎う。侍十人扈従す。今日複日
  たりと雖も、日次無きに依ってこれを宥め用ゆと。