1219年 (建保7年、4月12日改元 承久元年 己卯)
 
 

12月17日 己卯
  二品禅尼不例の間、今日戌の刻、泰山府君祭を修す。
 

12月18日 [一代要記]
  戌の時彗星乾方に見ゆ。騰陀星の東に在り。長一尺、色赤し。
 

12月24日 丙戌 晴
  子の刻、故右府将軍の亭(当時二品の居所)焼亡す。失火と。仍って二品俄に若公の
  亭に渡り同宿すと。
 

12月27日 己丑 晴
  二品の所願として、故右府追福の為、勝長寿院の傍らに於いて一伽藍を草創し、五大
  尊(仏師運慶法印)を安置す。これを五仏堂と号す。今日彼の忌日を迎え供養の儀有
  り。明禅法印導師たりと。
 

12月29日 辛卯
  陰陽の頭資光朝臣の勘文(光季取り進す)到着す。その状に云く、
   去る二十日酉の刻、彗星西方に見ゆ。騰蛇中に有りと。
  仍って件の状を司天の輩に下し、尋ね問わるるの処、関東に於いては一切見及ばざる
  の由、八人同心してこれを申すと。