1220年 (承久2年 庚辰)
 
 

1月11日 壬寅
  対屋已下作事定め有り。
 

1月12日 癸卯
  卯の刻地震。
 

1月14日 乙巳
  亥の刻、相州息次郎時村・三郎資時等俄に以て出家す。時村は行念、資時は眞照と。
  楚忽の儀、人これを怪しむ。
 

1月16日 丁未
  丑の刻、月太微宮の中に入る。辰の刻鶴岡別当三位僧都慶幸入滅す(去年八月二十一
  日別当に補す。世これを一年別当と号す)。
 

1月21日 壬子
  弁法印定豪(元勝長寿院別当)鶴岡別当職に補す。内大臣僧都親慶を以て勝長寿院別
  当職に補すと。
 

1月29日 庚申 晴
  定豪法印別当に補すの後、始めて鶴岡宮に神拝す。夜に入り窟堂の辺焼亡す。進士判
  官代・工藤右衛門の尉等の家災す。