1220年 (承久2年 庚辰)
 
 

3月9日 己亥
  酉の刻、窟堂の辺の民居数十宇災す。
 

3月22日 天晴 [玉蘂]
  今日内裡木造始めをはんぬ。その儀先ず仮屋に於いて勧盃有り。一献は右中弁成長、
  次いで居粉熟(史これを居ゆ)、次いで二献(右中弁頼資)、次いで居汁、次いで三
  献(これを略さる)。上卿は源大納言宰相経通卿と。その後大工等殿舎に向かい木造
  り始めの事有り。この外別儀無しと。

[皇帝紀抄]
  造内裏木作り始めなり。
 

3月26日 丙辰 [百錬抄]
  亥の刻、清水寺本堂並びに塔・釈迦堂等焼亡す。放火と。観音堂余焔を免がる。霊□
  他に異なるの至りなり。