1221年 (承久3年 辛巳)
 
 

11月3日 壬子
  右京兆の室産気有り。而るに聊か憚り有るに依って、日来の居所を改むべきの由、陰
  陽道に示し合すの処、権の助国道朝臣以下五人、一同に相議して云く、三條局の宅宜
  しきなり。件の所は、当時の住所より東方、大倉亭より乾方なり。当所は武州に譲る
  所なり。大倉亭は本所なり。仍って去る晦日彼の所に一宿しをはんぬ。然れば四十五
  日已前これより産所に移らしめば、その憚り無きの由と。伊賀四郎左衛門の尉朝行奉
  行すと。
 

11月13日 壬戌
  室家産所三條の局に移ると。
 

11月23日 壬申 天晴風静まる
  寅の刻、右京兆の室女子平産すと。