11月3日 壬子
右京兆の室産気有り。而るに聊か憚り有るに依って、日来の居所を改むべきの由、陰
陽道に示し合すの処、権の助国道朝臣以下五人、一同に相議して云く、三條局の宅宜
しきなり。件の所は、当時の住所より東方、大倉亭より乾方なり。当所は武州に譲る
所なり。大倉亭は本所なり。仍って去る晦日彼の所に一宿しをはんぬ。然れば四十五
日已前これより産所に移らしめば、その憚り無きの由と。伊賀四郎左衛門の尉朝行奉
行すと。
11月13日 壬戌
室家産所三條の局に移ると。
11月23日 壬申 天晴風静まる
寅の刻、右京兆の室女子平産すと。