1223年 (貞応2年 癸未)
 
 

9月1日 庚子 今暁甚雨、日中に及び晴天
  未の二刻日蝕、正現す。三分蝕と。
 

9月2日 辛丑
  戌の刻太白歳星を犯す(相去ること二尺七寸の所)。
 

9月3日 壬寅
  戌の刻月太白を犯す(相去ること三尺の所)。
 

9月4日 癸卯
  月心前星を犯す。
 

9月5日 甲辰 天晴
  横町辺の下女三子を生むと。女人の三子を生むは、官庫より衣食養育を賜わり、これ
  国史に載せらるるの由、有職これを申す。仍って二品国の雑色三人を差し、各々養育
  すべきの旨仰せ含めらる。その上、母の衣食同じく下し行わるべしと。午の刻和賀江
  の辺火有り。今日御祈祷を行わるべきの由、奥州の御方に於いて内々その沙汰有り。
  籐内所兼佐奉行たり。これ近日連夜天変出現するが故なり。
 

9月6日 乙巳
  下女生む所の三子皆傷死す。
 

9月10日 己酉
  天変の御祈り等を始めらる。所謂、
   愛染王護摩 弁僧正定豪      薬師護摩 大進僧都観基
   尊星王護摩 内大臣僧都親慶    北斗護摩 信濃法眼道禅
   七曜供   助法眼彌誉      属星祭  晴賢
   月曜祭   親職         歳星祭  知輔
   太白星祭  忠業         天冑地府祭 泰貞
   七座の泰山府君祭 晴幸 信賢 右京の亮重宗 文元 道寛 陰陽大夫重宗 家秀
 

9月16日 乙卯
  若君讃岐中将の亭に渡御す。駿河の守・陸奥の四郎・駿河の次郎・周防の前司・少輔
  判官代供奉す。小笠懸等有りと。
 

9月24日 癸亥
  二品の御持仏堂に於いて絵像の地蔵菩薩を供養せらる。導師は大進僧都観基・布施は
  御衣一領並びに一重・一裹。
 

9月25日 甲子
  奥州の御方に於いて、若君御亭を建てらるべき事その沙汰を経らる。日時定め有り。
  立柱上棟の事、明年正月三日庚子・五日壬寅、御移徙は四月十九日丙寅吉日の由、親
  職・晴賢連署の勘文を献る。伊賀次郎左衛門の尉光宗これを奉行す。
 

9月26日 乙丑 晴
  戌の刻大地震。