1223年 (貞応2年 癸未)
 
 

11月1日 己亥
  戌の刻歳星辰星を犯す。また螢惑大徴に入るの由、司天の輩これを申す。
 

11月7日 己巳
  天変の御祈り等を始行す。
 

11月19日 丁巳
  戌の刻太白星哭星第一星を犯す。前の右京の亮重宗これを申す。

[百錬抄]
  熊野那智山焼亡す。本宮に於いては火事度々例有り。当宮の事先規詳かならずと。
 

11月27日 乙丑
  勝長寿院の鎮守社、当時の御在所(寺奥)を改め、他所に崇め奉るべきの由その沙汰
  有り。隠岐入道行西これを奉行す。今日豊前の守従五位下藤原朝臣能直京都に於いて
  卒す。年五十二。当時鎮西の事一方これを奉行す。不慮の事有るの時、子息次郎親秀
  相継いで沙汰を致すべきの由、兼日の仰せを蒙ると。
 

11月29日 丁卯 辰の刻雨降り雷鳴
  明年若君の御所を建てらるべき事、奥州の御亭に於いて評議有り。但し日来天変に就
  いて、今日雷鳴等、猶思惟有るの由奥州仰せらる。これに依って陰陽師等を召し、当
  座に於いて問わる。未の刻卜筮有り。最吉に非ずと雖も宜しきの由各々占い申しをは
  んぬ。次いで天変雷鳴等の事尋ね仰せらる。知輔朝臣委細これを申すと。
 

11月30日 戊辰 晴、子の刻雷電、風雨殊に甚だし
  今日御所造営の事、猶評議を経られ、陰陽師等を召され尋ね問わる。国道朝臣・知輔
  ・親職・晴賢・泰貞・信賢・晴茂以上七人皆参る。各々不快の由を占い申す。就中近
  日天変頻りに示すは、歳星房星を犯す。本文の載せる所、五星房星を犯すは、人進失
  度と。明年御歳七つ、計都星に当たらしめ給う。旁々御作事有るべからざるの由、国
  道朝臣これを申すと。この事猶六波羅に仰せ、京都の陰陽等に問わるるべしと。