1224年 (貞応3年、11月20日 改元 元仁元年 甲申)
 
 

1月1日 戊戌 天晴、風静まる
  前の奥州椀飯を献らる。若君南面に出御す。御剱は駿河の守(重時)持参す。御調度
  は三浦駿河の前司義村、御行騰は出羽の守家長。
  一御馬 三浦駿河の次郎泰村   同四郎家村
  二御馬 佐々木右衛門次郎信高  同三郎泰綱
  三御馬 中條出羽の次郎家平   苅田右衛門三郎義行
  四御馬 加藤六郎兵衛の尉景長  同左衛門三郎景俊
  五御馬 三浦の三郎光村     同又太郎氏村

[皇帝紀抄]
  諒闇に依って小朝拝並びに節会無し。
 

1月2日 己亥 晴
  椀飯の儀例の如し。御剱は三浦駿河の前司持参す。
 

1月4日 辛丑 晴
  椀飯。御剱は結城左衛門の尉朝光持参す。前の奥州侍に参り盃酌を行わる。隠岐入道
  行西以下、法躰並びに医陰両道皆列座し、面々数献に及ぶと。二品南方に方違えせし
  め給わんが為、隠岐入道行西の二階堂の家に召さる。本所に於いて行西領状を申すと。
 

1月5日 壬寅 晴
  二品の御方違え本所の事、隠岐入道の家より、勝長寿院の奥殿南方に当たるの由、陰
  陽師等申せしむに依ってこれを改む。大倉泉の御亭を以て本所に定めらると。戌の刻
  月と太白同変の由、司天等これを申す。
 

1月6日 癸卯 晴
  宰相中将前の奥州の御舘に来臨す。今年初度なり。亭主馬を引かる。その外の物巨多
  と。
 

1月14日 辛亥 霽
  二所の御精進始め。今日、鶴岡八幡宮に於いて、最勝八講を始行せらる。
 

1月15日 壬子 晴
  前の奥州鶴岡宮に参らる。この程連日参詣なり。今日七箇日に満つと。
 

1月18日 癸卯 陰
  三浦駿河の前司義村二所奉幣の御使として進発す。
 

1月21日 丙子 晴
  若君の御方に於いて御酒宴有り。前の奥州並びに駿河の守・出羽の守以下、人々多く
  以て御精進中に参籠す。大進僧都・信濃法眼等同じく参侯するの間、その座を構え延
  年に及ぶと。
 

1月23日 戊申 晴
  三浦駿河の前司二所より帰参すと。
 

1月29日 [保坂潤治氏所蔵]
**関東下知状
  河野九郎道久申す伊豫国散在の下人の事、父通信法師は、兵乱の刻、京方たるに依っ
  てその咎に処せしめをはんぬ。道久は父に背き関東に参り、忠節を致すの間、阿波国
  富田庄の地頭を給いをはんぬ。然れども本望に非ずと称し、伊豫国石井郷を申し替え
  をはんぬ。これ則ち相伝の下人の中、旧好を忘れざるの輩、自然相訪わしむが故なり。
  而るに当国新捕地頭等の為、制止を加え、ややもすればその咎を行うと云々てえり。
  甚だ然るべからず。早く各々心事に任すべきなりてえり。仰せに依って下知件の如し。
    貞応三年正月二十九日      前の陸奥守(花押)