1224年 (貞応3年、11月20日 改元 元仁元年 甲申)
 
 

2月3日 庚午 晴
  申の刻地震。
 

2月11日 戊寅 霽
  御壺に於いて犬追物有り。前の奥州・相公羽林等参らる。犬二十疋、射手六騎なり。
   三浦駿河の次郎泰村  佐々木の八郎信朝  結城七郎兵衛の尉朝廣
   駿河の四郎家村    武田の六郎信長   横溝の六郎
 

2月22日 己丑 晴
  駿河の国より使者を進し申して云く、一昨日(二十日)丑の刻、当国惣社並びに富士
  新宮等焼失す。神火と。
 

2月23日 庚寅 晴
  平三郎兵衛の尉盛綱・尾藤左近将監景綱等、前の奥州の御使として駿河の国に下向す。
  富士新宮等回禄の事に依ってなり。
 

2月29日 丙申 晴
  去年冬の比、高麗人の乗船越後の国寺泊浦に流れ寄る。仍って今日、式部大夫(朝時)
  その弓箭以下の具足を若君の御方に執り進す。則ちこれを覧る。奥州以下群参す。弓
  二張(仮令常弓の如し。但し頗る短く、夷弓に似たり。皮を以て弦と為す)・羽壺一
  ・太刀一(常刀、聊か細長き躰なり)・刀一(大略常刀に同じ)・帯一筋(緒を以て
  これを組む)。彼の帯の中央銀簡(長七寸、広三寸方なり)を付け、その中銘四字を
  注すなり。また銀匙一・鋸一・箸一双(動物の骨なり)・櫛(皮を以てこれを造り、
  櫛袋にこれを入る)。具足等は、吾国の類に似て、皆形を見て名を知る。四字の銘に
  於いては、文士数輩参侯せしむと雖も、これを読む人無しと。
    簡銘の書き様