1224年 (貞応3年、11月20日 改元 元仁元年 甲申)
 
 

4月11日 [百錬抄]
  或る人云く、去る五月の比、越後の国白石浦に異国船吹き寄らる。その長十余丈、船
  中泉を構作す。乗人四人僅かに存命す。近日上洛し、六角堂の辺に経廻す。万人見物
  すと。彼の国人銀を以て瓦石の如く諸物に用いると。武家に仰せ洛中を追われをはん
  ぬ。
 

4月27日 癸巳 雨降る
  土佐の守国基(観基僧都)前の殿下(若君厳閣)の御使として下着す。即ち布衣を着
  し若君の御方に参る。御対面有り。手本・御硯等を持参す。御手習い有るべきに依っ
  て、家君よりこれを進せらると。前の奥州(布衣)参会せらる。駿河の守並びに前司
  義村已下、人々布衣を着し侍所に出仕す。椀飯を儲け、一に元三の儀の如し。盃酒数
  献に及び、国基御剱を賜わり退出すと。
 

4月28日 甲午 天晴
  若君の御手習い始めの儀有り。陰陽権の助国道朝臣日次を撰び申す(今日、時巳未)。
  その儀、兼ねて南面の御簾三間を上げらる。御硯一面(蒔鶴)・御手本(昨日京都よ
  り参着す)等御座の前(文台に置く)に置く。吉時(未)前の奥州布衣を着し参らる。
  若君出御す。宰相中将(布衣)傍らに侯せらる。頃之奥州参進し御硯蓋を開き、墨を
  摺り筆に染め進せらる。これを取り習い始め給う。長生殿の詩と。事訖わり奥州御剱
  (錦の袋に納む)を賜わらる。相公羽林これを伝う。出羽の守家長(布衣)役送たり。
  その後上台所に於いて盃酒。宿老の御家人両三輩参侯すと。