5月4日 庚子 晴
御手習い有り。二品扶持し奉らしめ給う。女房数輩参侯すと。
5月8日 甲辰
土佐の守帰洛す。去る四日出門。若君より御馬を引き賜う。三浦駿河の三郎光村御使
たり。奥州同じく御馬・帷等を遣わさる。その外の人々多く以て餞送すと。
5月13日 己酉 晴
近国の浦々大魚(その名分明せず)多く死んで波上に浮かぶ。三浦崎六浦前浜に寄る
の間充満す。鎌倉中の人挙ってそれの完を買い、家々これを煎じ彼の油を取る。異香
閭巷に満つ。士女これを謂うに、旱魃の兆、先規に無し。直なる事に非ずと。
5月15日 辛亥 晴
炎旱旬を渉る。仍って祈雨法を始行せらる。所謂百壇の不動供・一宇金輪・水天供・
降雨法・仁王観音等の御読経なり。周防の前司親實奉行たり。
5月16日 壬子 天晴
若君二品の御方に渡御す。駿河の守・周防の前司・少輔判官代・駿河の次郎・信濃の
四郎・左衛門の尉等供奉す。
5月18日 甲寅 晴
炎旱の御祈り、何れの祭礼を修せらるべきや否やの事、奥州方に於いて重ねてその沙
汰有り。五龍祭たるべきかの由、隠岐入道行西これを申すと雖も、この境に於いて未
だ勤行の例無きの上、天地災変・属星・水曜等の御祭宜しかるべきの旨衆儀すと。
[百錬抄]
今日より神泉苑に於いて、親厳僧正祈雨御読経を始め奉る。諸僧に仰せ水天供有りと。
また炎旱旬を渉ること何の祟りぞやの由、御卜を行わると。
5月20日 丙辰 晴
深更に及び鎌倉中物騒す。その故聞かずと。
5月24日 [百錬抄]
諒闇終に大祓なり。
5月29日 [長門三浦家文書]
**平西仁譲状案
すハうのくににほのしやうのちとうしきをハ、平子三郎左衛門のせうしけすけにゆつ
りあたえて、ちやくしにたつるところ也、二郎つねむらハ出家して、きみの御大事ニ
あふましきによて、四郎しけつくに、つねとミのほうをハゆつりあたへをはんぬ。も
しさまたけん子ともいてきたらハ、ふけうの子なり、後日のために、自筆をもてゆつ
りわたす所也、