1226年 (嘉禄2年 丙戌)
 
 

2月1日 丙戌 霽
  辰の刻、鶴岡八幡宮恒例の御神楽の間、上宮の神殿の戸開かずして数刻に及ぶ。仍っ
  て神主子細を申す。武州甚だ御怖畏有り。陰陽師等を召し尋ねらる。辰の時の如きは、
  神事不浄不信の上、火事を慎まるべきの由これを占い申す。
 

2月5日 庚寅 晴
  天変の御祈りこれを行わる。七曜供は法眼珍誉、北斗供は法橋珍瑜。
 

2月9日 甲午 晴
  御祈り等重ねてこれを行わる。天地災変・属星・月曜・螢惑・歳星・太白星・鎮星等
  の祭なり。
 

2月13日 戊戌 晴
  佐々木四郎左衛門の尉信綱京都より帰参す。正月二十七日将軍宣下有り。また右近衛
  少将に任じ、正五位下に叙せしめ給う。これ下名除目の次いでなりと。その除書等こ
  れを持参す。
 

2月14日 己亥 晴
  信綱召しに依って御所に参る。御剱を賜う。使節勤仕の故なり。武州これを授けしめ
  給うと。
 

2月17日 壬寅 陰、風少し吹く
  四方暗くして霧霞の如し。午の刻より晩景に及び、妄りに高塩を称す。北風なり。そ
  の儀非ざるかと。
 

2月22日 天晴 [明月記]
  心寂房、六波羅(武士の辺)より来たり。関東聟を執る事有りと。武州の女相州の嫡
  男(四男)に嫁す。愛妻(光宗女)有るに依って頗る固辞す。父母懇切にこれを勧む
  と。
 

2月25日 天晴 [明月記]
  去る比鴨の前禰宣法師(資綱)舎兄(禰宣資頼)を殺害す。事一定の由、證拠有りと
  称し、関東より重ねて召し取り禁固するの間、漏刻博士賀茂宣知縁坐として、共に河
  東に禁しめらると。資頼子の男義村の縁者の夫たるに依って、実犯に処せらると。
 

2月27日 朝天陰、辰後雨降る [明月記]
  兵部来たり談る。来月中旬関東に下向すべし。相州減に付きをはんぬと。入道法印逐
  日時を待つと。