1226年 (嘉禄2年 丙戌)
 
 

3月1日 丙辰 晴
  吉曜たるに依って、竹の御所御方違えの為武州の御亭に入御す。これ今年の御行始め
  なりと。
 

3月9日 天晴、風吹く [明月記]
  武州婚姻の事、四郎(相州嫡男)猶固辞す。事すでに嗷々と。相州の子息惣てその器
  に非ざるか。出家の支度を成すと。本妻の離別を悲しむに依ってなり。公賢朝臣の如
  きか。
 

3月13日 天晴 [明月記]
  世事を聞かず。後聞、将軍申せしめ給う禁色の事宣下せられをはんぬと。
 

3月15日 庚午 晴
  卯の刻、竹の御所如法経筆立御聴聞の為、御堂の御所に御出で。去る月二十二日これ
  を始行せらる。
 

3月18日 癸酉 晴
  大慈寺の舎利会例の如し。竹の御所並びに武州御参堂と。
 

3月20日 乙亥 霽
  戌の刻京都の使者参着す。将軍家去る十三日禁色を聴され給うと。
 

3月21日 天晴 [明月記]
  去年殺害の鴨の禰宣資頼の子比々良木禰宣、遂に正禰宣に補しをはんぬと。これ即ち
  関東の吹挙なり(義村の所為か)。
 

3月23日 戊寅 晴
  一條殿より禁色の御装束を調進せらる。今日到来す。
 

3月27日 壬午 霽
  如法経十種供養、導師は荘厳房律師。武州聴聞せしめ給う。
 

[3発29日 甲申
  辰の刻地震。]